高い収入を得ることの重要さが薄れているのか?
自分は今の収入には決して満足しているわけではない。
けれど、どうも世の中を見渡してみる(ヤフーニュースのコメントとか)と、多くの人が稼ぐことと生活を充実させることの折り合いを模索している。
2010年、自分が大学生の頃、この当時は就職先で例えば、銀行と言えば勝ち組という印象があった。
でも、10年経った今、銀行員という職業を羨む人は確実に減っていると思う。高い収入の代表格みたいな仕事なんだろうけど、それには激務が伴いプライベートを他の仕事に比べて犠牲にしている部分が大きい、だからそこまでして稼がなくても良いや、みたいな感じだろうか。
分かり易く言えば、昔は、仕事は何してるの? と聞いて
銀行員 と答えれば、良いですね~。という反応が多かったのに、
今は、大変なお仕事なんでしょうね~。という反応も多いと思う。
結局、今の仕事観というのは、如何に自分の手に負える仕事をしてストレスを抱えずプライベートを充実させるか、が大事なのだろう。
自分は銀行の仕事を知らない。だから、もし自分が銀行に就職出来ていたとしたら、仕事内容が複雑で難しく、自分の手に余り多くのストレスを抱えていたのか、それとも案外、自分の手に負える仕事内容でそこまでストレスを抱えずに働けていたのかは分からない。
そう、分からない。
銀行員で考えたけど、例えば、自分には合わないと思って考えてもみなかった、土方の仕事も、もしその仕事を選んでいたらどうなっていたのか分からない。
ただ、自分の友人に、数学だけは本当にセンスがある、頭の良いやつがいたけど、最終的には大学を中退して今は、塗装の仕事をしている。そして、友人は今の仕事に不満は一切持っていない。むしろ、そいつと会うたびに、つまらない仕事をして何十年も働いて年収が600万円もらえる、それがそんなに凄いことなわけがない、と言っていた。コネを使えば、そういう就職先があったけれども、断ったという話に自分が、お前勿体ないことしたな、と言ったときの話しだ。
自分も、口では勿体ないことしたな、と言っておきながら、その選択の合理性は分かっていた。ただ、分かっているけど行動できない。
友人は、行動した。その結果、自分の手に負える仕事を探し当てた。友人は今は独立している。友人は今の仕事が面白いとか、そういう事は言わないが、誰にも使われないことには満足しているという感じだろうか。
友人は、本当に頭が良く、基本的には誰も信用するな、ただ、信頼した上司だけは100%信頼しろ、と言う。
自分はその話をしていた当時、転職を水面下で考えていたから、その通りかも、と思った。
つまり、裏では転職を考えている自分に、上司は信頼してあれこれ仕事を教えたり、将来も続く仕事を任せるべきではないと思う。結局は、転職しなかったけど。
人を信頼して仕事はやるべきではない。
名言だなぁ、と思う。
友人は、冷たそうだが、優しい考えも多く持っている。人を信頼するなというのは、冷たさから来るものではない気がする。他の人に頼んだ仕事にミスがあったことが、後から分かるなんてことはよくあることだろうけど、その時に、自分も確認しておくのが当たり前だと思っているから、自分のミスだと思えるということなんだろうな。
自分みたいに、有能でも何でもない人間ですら水面下で転職を考えているのだから、有能な人ほど年齢に関係なく急にいなくなるんじゃないかな。
これからは、友人のように、学校の勉強が多少できたことなどを、いったん白紙に戻して社会に出る判断が必要になると思う。自分は、多少成績が良くて、国立大学に進学したことを、白紙に戻せなかった。何か、高度な教養を身に付けたわけでもなく、多少成績が良いといっても、例えば数学や化学、英語を仕事に応用することが出来るレベルではない。
中途半端に頭が良いくらいでは、努力と根性がなければ社会で働けない。いや、頭が良くても努力と根性は必要だけど。
もし、自分が多少成績が良いことや、大学に行ったことを白紙に戻して、働くという事を考えることが出来たら、自分は今、何をしていただろう。
やっぱり、オレも土方だったかな。